NO 29 欠けていること・補うこと

LD(学習障がい) って何だろう,
という話しの中でよく聞くのが,
“人はみんなどこかにLDの部分を持っている。 他のこととのアンバランスの度合いと, そのことによる不都合の度合いが違うだけ” という言い方です。

本当に人にはみんな得手不得手があるし,
ボコッと抜けているところが愛敬だったり, 個性的だったりもします。

黒柳徹子さんはLDだって聞くと,
あの方の何ともいえない率直さとあふれる好奇心はLDの賜物なんだろうな, なんて感じます。

そうはいってもやっぱり自分を考える時,
それはあくまで得手不得手や個性のレベルであって,
障がいとして考えたことはなかったんです。


先日, 子ども二人を連れて所沢の私の祖母のお見舞いに行きました。

もう本当に年をとって, 表情が呆けて子どもの顔になっていたけれど, 孫という立場の気楽さからなのか,
元気だった昔のおばあちゃんと変わらない感情で話しができ,
ひ孫たちも背中をさすってあげたりすることができ,
行ってよかった… という気持ちで帰途につきました。

ところがその帰り,

まず池袋で乗り換えた時,
なぜだかここは東京駅だと信じ込んで, 一生懸命新幹線乗り場を探しました。 散々ウロウロしてからふっとここが池袋なことを思いだし, みんなで大笑いしながら東京駅に向かいました。

東京駅で新幹線の自動改札に切符を入れたら

ガチャンとしまってしまい, 今度は何かと思ったら東北新幹線の乗り場でした。
「まったくモー, おかあさんは!」 と子どもたちのブーイングを聞きながら, 掲示板を見るとこだま号の発車まであと1分。

急げ-っとばかりに飛び乗ったらな, な, なんとひかり号 !

もうあきれて文句も言わない子どもたちと, 最寄の停車駅から折り返し, 駅に迎えに来てくれた夫の顔を見るなり, 子どもたちは人質から解放されたように走っていきました。


ここまでひどいのは初めてだけれど, 実はこういう事, 決して少なくないんです。

でも, 「何でまちがえたの?」 と聞かれるとすごく困るんです。

鉄道がどう走っていて, こだまはどうで, ひかりはどうかって知っているのに,
その瞬間みーんなとんでいて何となく行動してしまうのです。

なぜその瞬間とんでしまうのかと聞かれても,
とんでしまったとしか言いようがないのです。

他の生活について決してぼんやりしている方ではないと思うのに, 何でなんだろう… 。
さすがに落ち込んでいる私に夫がひとこと。
    「それはお前, 障がいだよ。 物の値段をすぐ忘れるのと, 乗り物や地図がめちゃくちゃなのは, その部分がもともとないんだよ。」

な, ないって, 脳みそにないってこと?

何だかとてもショックだけど, それが一番スッキリと説明できるような気もします。

自分に欠けているものをちゃんと知っていること
それを楽観視したり悲観的になったりしないで事実として受けとめること
それを補う方法をたくさんもつこと … 。

LDの子どもたちに伝えてきたことがそのまま自分にも言えそうです。

これを読んで大笑いしているあなたにも,
ボコッと抜けているところ, あるかもしれません。

でも, いいじゃないですか。
自分が全部持っていなくたって補い合っていけるなら。

LDの人達, 障がいをもつ人達に寛容な社会は,
やっぱり全ての人に優しい社会なんだろうな, と実感しています。


私を補ってくれる人, 募集中!



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